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大阪高等裁判所 昭和63年(う)304号 判決 1988年6月22日

主文

被告人が昭和六三年二年二四日申し立てた控訴は、同日取下により終了した。

被告人が同月二五日申し立てた控訴を棄却する。

理由

本件においては、控訴の適法性について疑問があるので、まず、この点について判断する。

記録によると、被告人は、昭和六三年二月一九日大阪地方裁判所で、覚せい剤取締法違反被告事件について、懲役一年六月に処する旨の判決の言渡しを受けたところ、同月二四日、勾留されている大阪拘置所の所長代理者に対し、右判決について、控訴を申し立てる旨の同日付控訴申立書(控訴申立書受領通知欄に同日午前八時一五分受領と記載あり)を提出したが、同日同所長代理者に対し、右控訴の申立を取下げる旨の控訴取下書(控訴取下書受領通知欄に同日午前一〇時三九分受領と記載あり)を提出し、右控訴申立書及び控訴取下書は、同日、ともに大阪地方裁判所に送付されたこと、そして、被告人は、同月二五日同所長代理者に対し、「右控訴の取下は、ちょっとの手違いで誠にうっかりしてなしたが、一時間以内に担当看守、拘置所長宛に控訴取下の中止と控訴したい旨申し述べたところ、担当看守から『それならば、直ちに上訴権回復願い提出せよ。』といわれたので、控訴取下の無効を主張し、ぜったい控訴したいので、本件上訴権回復に及んだ。」旨記載した「上訴権回復願い」(上訴権回復願受領通知欄に同日午前一〇時四〇分受領と記載あり)を提出するとともに控訴を申し立てる旨の同日付控訴申立書(控訴申立書受領通知欄に同日午前一〇時四〇分受領と記載あり)を提出し、この両書面は同月二六日大阪地方裁判所に送付されたことが認められる。

右上訴権回復の請求を受けた大阪地方裁判所は、被告人は一たん控訴期間内に適法な控訴の申立をしているのであり、このような事案については上訴の提起期間内に上訴することができなかったことを要件とする刑訴法三六二条の適用がないことは明らかであるとして、被告人の上訴権回復の請求を棄却し、なお、被告人の右上訴権回復の申立は、控訴取下の無効ないし撤回を主張しているものと解されるが、その主張のような理由のみによっては控訴の取下が無効ということはできず、控訴取下の撤回も認められないとも判断されるが、事実の経過と被告人の主張するところに照らすと異なる判断に達する余地も全くないではなく、この点の判断については、本来、控訴裁判所の判断によるべきものと考えられ、したがって再度の控訴の申立についても控訴権の消滅した後になされたものであることが控訴裁判所の判断に任せる必要がないほど明確であるとはいえないとして、刑訴法三七五条による控訴棄却の決定はせず、訴訟記録を大阪高等裁判所に送付してきたことが明らかである。

そこで、本件記録及び当審における事実取調べの結果により検討するのに、被告人は昭和六三年二月二四日前記のとおり控訴申立をしたが、そのすぐあと、運動時間中、覚せい剤事犯で量刑を同じくする者からその程度の量刑は相場である旨聞かされ、そういうものかな、と思って控訴取下書を提出した。しかし、被告人の犯罪事実は覚せい剤の自己使用一回であるのに、前記の者には自己使用のほかに所持もあることから被告人の量刑は重すぎると考え直し、同日午前一一時五分受付にかかる後記申出と同旨とみられる控訴取消白紙願と題する願箋を提出し、担当看守に対し、「先ほど控訴を取り下げたが、これを取消して下さい。まだ担当台にあると思うから控訴取下書を返して下さい。絶対に控訴したい。」旨申出たところ(右願箋提出と口頭申出の前後関係はさだかでないが、いずれにしても接着しており、以下この両者を含めて控訴取下書の返還の申出という。)担当看守から、「控訴取下書を一たん受付けた場合は取消すことはできない。そういう場合は上訴権回復願いというものを便箋に書いて出し、再度控訴するように。」といわれ、右便箋を入手するのに一日かかり、翌日、前示のように上訴権回復の手続をしたことが認められる。

以上の経過に照らすと、被告人のなした控訴取下には何らの瑕疵も存せず、右取下が有効であることが明らかであるが、被告人は右控訴取下を撤回したものと解する余地もあるので、更に検討するのに、控訴取下の効力発生後はその撤回は認められないから、右控訴取下の効力発生時期を確定する必要があるところ、刑訴法三六六条は「監獄にいる被告人が上訴の提起期間内に上訴の申立書を監獄の長又はその代理者に差し出したときは、上訴の提起期間内に上訴をしたものとみなす。」と規定し、この規定は、同法三六七条により監獄にいる被告人が上訴の放棄若しくは取下又は上訴権回復の請求をする場合に準用されている。そこで、右にいう「監獄の長又はその代理者に差し出したとき」とはいかなるときをいうかについて検討するため、大阪拘置所における取扱を、控訴取下書を例にとって一べつする。

大阪拘置所においては、在監者たる被告人は、その収容されている舎房の担当看守から控訴取下書用紙を入手し、舎房内においてこれに必要事項を記載した後担当看守の面前で指印を押捺して担当看守に提出し、これを受取った担当看守は速やかに舎房担当台において指印証明をするとともに受付薄(訴訟書類書留控簿)に被告人から直接交付を受けた時刻等の必要事項を記入した後、所属する上司に回付依頼の連絡を行い、右回付依頼を受けた係職員は前記受付簿に受領印を押印して控訴取下書を受取り、控訴取下書中の控訴取下書受領通知欄に担当看守が被告人から直接交付を受けた日時を記載し押印の上、訴訟書類逓付簿に所要事要を記載して庶務課係職員に引継ぎ、右引継ぎを受けた庶務課職員は、前記訴訟書類逓付簿に受領印を押印して控訴取下書を受取り、被告人の身分帳簿に所定の処理をなし、確定整理簿への記載及び上訴簿(裁判所への逓付簿を兼ねる)への登載を行った後、監獄の長の代理者である庶務課長に届けるが、在監者が担当看守に控訴取下書を提出してから庶務課長に届くまでに要する時間については、その提出の時間帯(例えば、昼間と夜間の場合、昼間であってもその時間帯など)等その他種々の事情で一定でないことが認められる。

右のとおり、手続の過程は定まっていても、その進行に遅速の生ずることはやむを得ないところであるから、手続の画一性を害しないためには前記「監獄の長又はその代理者に差し出したとき」とは現実にこれらの者のもとに届いたときをいうのではなく、これらの者に届けるべくその手続に入った最初の段階、即ち担当看守が在監者から控訴取下書を受取り、指印証明をし、受付簿に記載を終え、控訴取下書を差し出したことが客観的に証明されたとき、と解するのが、刑訴規則二二九条で準用される同二二七条の趣旨に合致し、相当である。

これを本件についてみるのに、本件各控訴申立書、控訴取下書、「上訴権回復願い」の各受領通知欄に記載の各受領日時は、被告人がこれらを担当看守に提出した日時であるから、被告人が本件控訴取下書を担当看守に提出したのは昭和六三年二月二四日午前一〇時三九分であり、本件控訴の取下は、控訴取下書を受取った担当看守が速やかに受付簿に前記事項を記入したときその効力を生じたが、その時刻はつまびらかでない。

しかし、被告人が前記のとおり本件控訴取下書の返還方を申出たとき、本件控訴取下書はすでに担当看守から係職員に回付されていたことが認められ、右回付は前記受付簿に記入を了し、控訴取下が効力を生じた後の手続であることが前記手続過程に照らし明らかであるから、被告人が控訴取下を撤回した時期を前記控訴取下書の返還の申出時とみても、本件控訴の取下はそれ以前に効力を生じており、被告人が昭和六三年二月二四日になした控訴は取下によってすでに終了しているものというべく、もはや同控訴取下の撤回は認められない。

また、被告人が同月二五日になした控訴の申立は、控訴権消滅後になされたものであるから刑訴法三九五条によりこれを棄却することとする。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官重富純和 裁判官川上美明 裁判官生田暉雄)

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